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東京地方裁判所 平成9年(ワ)5940号 判決

主文

一  被告は原告らに対し、二〇〇万円及びこれに対する平成九年四月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の主位的請求を棄却する。

三  被告は原告らに対し、四三五〇万円及びこれに対する平成九年四月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

四  原告らのその余の予備的請求を棄却する。

五  訴訟費用は被告の負担とする。

六  この判決は、第一、第三項に限り、仮に執行することができる。

理由

第一  請求

(主位的請求及び予備的請求とも)

被告は原告らに対し、四七五〇万円及び訴状送達の翌日(平成九年四月三日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、主位的に、原告らの養母甲野花子(平成七年一二月二四日死亡、以下「花子」という。)が、その精神分裂病のため孤独死になるのではとの不安感にかられ、姪である被告に対し、平成六年から平成七年にかけて七回にわたり合計四九〇〇万円を自らの葬儀費用等として預託したとして、右預託金返還請求権を相続した原告らが、被告に対し、右合計額から被告からの任意の返金分一五〇万円を差し引いた四七五〇万円の返還及びこれに対する訴状送達の翌日からの利息の支払を求め、予備的に、仮に、花子から被告への右金銭の交付が贈与であったとしても、当時、花子は妄想型の精神分裂病に罹患しており意思無能力の状態にあって、その贈与は無効であるとして、四七五〇万円の返還及びこれに対する訴状送達の翌日からの利息の支払を求めている事件である。

一  争いのない事実及び証拠上明らかな基本的事実

1  原告甲野一郎(以下「原告一郎」という。)は、昭和三〇年六月二九日(当時五歳)、甲野太郎(大正三年一二月一五日生。以下「大郎」という。)及び花子(大正九年六月二四日生)夫婦の養子となった。

原告一郎と原告甲野春子(以下「原告春子」という。)は、昭和四九年七月二七日婚姻した。

原告春子は、平成四年六月二二日、太郎及び花子夫婦の養子となった。

原告春子は、同年一一月四日、原告一郎と離婚した。

2  被告は、花子の姪(花子の実姉の子)である。

3  花子及び太郎夫婦から被告に対し、平成六年から平成七年にかけて、七回にわたり、合計四九〇〇方円が交付された(ただし、その交付した主体や趣旨は後記の争点についての当事者の主張のとおり、争いとなっている。)。

4  花子は平成七年一二月二四日死亡し、また、太郎は平成九年一月一六日死亡し、現在、花子の有した債権は、原告らが各二分の一の割合で相続していることになる。

5  被告は太郎に対し、太郎名義で作成した一〇〇万円の入った通常貯金通帳を平成八年一〇月七日ころに送り、また、同年一一月二七日に五〇万円を郵便振替の方法により太郎名義の貯金通帳に送金している。

二  争点(1及び2)

1  花子は被告に金銭を預託したか。

(原告らの主張)

花子は、昭和四五年ころ、妄想型の精神分裂病を発病し、その後何度か精神科への入院を繰り返していたが、右病気のため、自らの葬儀を誰も行ってくれず、孤独死になるのではないかとの神経症的な不安感にかられ、平成六年から平成七年にかけて、被告に対し、次のとおり、七回にわたり、合計四九〇〇万円を自らの葬儀や埋葬等にかかる費用として預託した。

(一) 平成六年一〇月二三日ころ 金一〇〇〇万円(小切手)

(二) 同年一〇月二四日ころ 金五〇〇万円

(三) 平成七年二月一三日ころ 金一五〇〇万円

(四) 同年四月三日ころ 金一〇〇〇万円

(五) 同年五月九日ころ 金五〇〇万円

(六) 同月二四日ころ 金二〇〇万円

(七) 同年六月一三日ころ 金二〇〇万円

(被告の主張)

被告が花子又は太郎から受け取った金銭は贈与されたものであって、預託を受けたものではない。

その内訳は次のとおりである。

(一) 花子は、被告に対し、平成六年八月二二日、太郎を代理して、太郎から被告に対して三〇〇〇万円を無償にて与える旨の意思表示をしたので、被告は、同月二五日にこれを受諾し、それに基づき、被告に対し、太郎を代理した花子は、同年一〇月一九日に五〇〇万円を送金し、また、太郎は、同月二三日に一〇〇〇万円の小切手を交付し、平成七年二月三日に一五〇〇万円を送金した。

(二) 花子は、被告に対し、平成七年二月七日、二〇〇〇万円を無償にて与える旨の意思表示をし、被告はこれを受諾し、それに基づき、花子は、被告に対し、うち一五〇〇万円につき、同年四月三日に一〇〇〇万円及び同年五月八日五〇〇万円を送金した。

(三) 花子は、被告に対し、花子及び太郎の各葬儀・埋葬費に使うため、平成七年五月二二日及び同年六月一三日に各二〇〇万円ずつ送金して贈与した。

なお、被告は、前記(三)の贈与を受けた各葬儀・埋葬費使途目的の金銭に関して、花子死亡の際、葬儀執行者の太郎に対して二〇〇万円を交付している。

2  花子から被告への金銭の贈与は、花子の意思無能力により無効となるか。

(原告らの主張)

仮に、花子の被告への金銭交付が贈与であったとしても、花子は、昭和四五年ころ妄想型の精神分裂病を発病して以来、その病状が続いており、右贈与当時意思無能力の状態にあったもので、その贈与は無効である。

(被告の主張)

花子から被告への金銭贈与時、花子の精神状態は正常であった。

第三  争点に対する判断

一  前記第二「事案の概要」一記載の事実及び《証拠略》を併せると、次の事実を認めることができる。

1  花子は、大正九年六月二四日に茨城県で出生し、丙川高等女学校を卒業した後、昭和二二年一二月四日太郎と婚姻した。花子の実兄は二五歳のころ自殺しており、また、実弟は、勤務先会社の上司が自分のことを見張っていると述べるなど、被害妄想の傾向があった。

太郎及び花子夫婦には実子がなく、昭和三〇年六月二九日、原告一郎(昭和二五年五月二五日生、当時五歳)を養子とした。

2  花子は、昭和四四年秋ころ(当時四九歳)、被害念慮、幻聴、作為体験等が出現して精神分裂病を発病し、千葉大学医学部附属病院神経精神科において、昭和四五年四月一〇日から同年五月九日、同年一〇月八日から昭和四六年二月六日、昭和四七年八月一一日から昭和四八年二月三日、昭和五三年六月二三日から同年一〇月二八日の四回にわたり入院加療を受けた。この間、花子においては、症状消退期は家庭での仕事も何とか可能であったが、増悪期は、激しい幻覚妄想状態となり、投薬のほか、電撃療法が行われたが、何回も命令的幻聴による自殺企図があり、千葉大学医学部附属病院に入院していたときに、病院から無断で抜け出し、千葉県館山の海岸で自殺を図って救助されたこともあった。

花子は、昭和五三年一〇月二八日の退院後、外来通院で投薬治療を受けていたが、昭和五四年五月七日以降は、帝京大学病院精神神経科に通院するようになった。昭和五四年五月七日の帝京大学病院精神神経科の花子初診時の所見においては、無表情、緘黙、鈍感、硬く緊張した態度で、接触性が悪く、一見陳旧性分裂病の印象であったが、その時点では、幻覚、妄想は否定されていた。

花子は、昭和五四年五月以降死亡するに至るまで、帝京大学病院にほぼ定期的に通院していたが、診察を受けず投薬のみとの希望が多く、平成三年七月転んで腰を痛め帝京大学病院の別の科に約二か月入院し、また、平成四年五月に左下腿骨を骨折し、同年六月に別の病院に入院したが、その間は、太郎が薬を取りに来ていた。花子は、平成七年中は、薬を受け取るだけにして、診察を受けることは余りなかった。

花子は、平成七年一二月二三日自宅で倒れ、翌二四日午前六時急性心筋梗塞により死亡した。

3  原告一郎と原告春子は昭和四九年七月二七日婚姻し、婚姻後約二年間は太郎及び花子夫婦と同居した後、世帯を分離するということで別居した。

平成四年ころになると、原告一郎には、仕事の関係での借金があり、その督促の電話が太郎及び花子宅にまでかかってくるようになったことなどから、太郎に相続が発生した場合に財産を守ることや、原告春子が太郎及び花子の老後を看ることを考え、平成四年六月二二日、太郎及び花子夫婦と原告春子は養子縁組をし、また、その後の同年一一月四日原告一郎と原告春子は離婚した。

原告春子は、平成四年一二月ころから、その子とともに、太郎及び花子夫婦と同居するようになったが、平成五年一二月ころになると、花子は精神状態がより不安定となり、原告春子に対し、物を取ったとか、財産をねらってここに来ているなどと毎日のようにつらく当たるようになり、更に、同じく同居している原告一郎と原告春子間の子らに対してまで、そのような事実がないにもかかわらず、冷蔵庫の中の物を食べたとか、物を壊したなどと小言を言うようになり、原告春子はいたたまれなくなり、太郎と相談の上、冷却期間をおくために別居することとし、平成六年四月、子を連れて太郎及び花子宅を出た。なお、右別居後も、太郎と原告春子は毎週のように会い、近況を話し合っていた。

4  平成元年ころ、花子は原告一郎に対し、花子の実弟で、神奈川県小田原市に一人居住しており、被害妄想の傾向があった松夫から死後のことについて依頼されているので、その件を原告一郎に依頼したい、松夫の預金二〇〇〇万円は差し上げるといっているとの連絡をしたことがあった。

5  花子は、原告春子と別居した平成六年四月以降、自分の葬式は誰もやってくれないのではないかなどというような発言を繰り返すようになり、太郎が、原告春子とも会って相談しているので、そのようなことは心配しなくてもよいとなだめても納得しなくなった。

そのような状況下において、花子は、平成六年八月二二日付けで、姪(実姉の子)に当たる被告(過去、被告が花子宅を訪れたのは、昭和三〇年代後半に二回、昭和五〇年代に二、三回程度の交際であった。)に対し、「主人も来年は八十才になります。今は元気で何時どうなるという事はないのですが毎日心配して居ります。それで一郎(養子)に相談したのですが一ケ月の内半月は中国に出張して居りますが相談は受け入れないと申します。かけ言が好きで金使いが荒いのです。その外にもいろいろ事情を申し上げねばならないのですが、主人が万一の時はお知らせしますのでお手傳い戴きたいのですが如何でしょう、私も去年足の骨を折って完全に直らなかったので外に出る時は杖を使わなければならず遠出も出来ません 一郎の嫁も離婚して今は家庭裁判で私と裁判をしている有様です、それで御主人様と御相談の上御返事を戴きたいのですが如何でしょう、お礼として三千万円を差し上げたいと思います このお手紙は主人ともよくよく相談して申し上げているのです、主人の葬式は遺言で葬式告別式は行わないので簡単だと思います 貴女の御兄弟でも結構です 外にお願いする人も居ないのです、お金は主人が存命中に差し上げたいと思います、どうぞよろしくお願いします、それから三千万円の中に葬式の費用は入っていません、その費用はこちらで出します、これは前に申し上げたこととは関係ないのですがよかったら私が作って一度も着ていない着物が數着ありますので帯もあります、お暇な折に取りにいらっしゃって下さいませんか 嫁にもって行かれない様にいかがでしょう(原文のまま。以下、花子作成の書面の引用は、可能な限り、原文のままとした。)」などとの文面の手紙を出した(なお、家庭裁判所に、花子と原告春子にかかる何らかの事件が係属しているという事実は全くなかった。)。

同月二五日ころ、花子から被告宅に電話があり、被告は花子に対し、花子からの右申入れを受けることを伝え、さらに、同年一〇月七日ころ、花子から被告宅に電話があり、被告は、同月二三日に花子宅を訪ねることを約し、また、被告名義の銀行預金の口座番号を教えた。

同年一〇月一九日、被告名義の右銀行口座に、花子名義で五〇〇万円の振り込みがあり、同月二三日、被告は、その夫の乙山竹夫(以下「竹夫」という。)とともに太郎及び花子宅を訪問した。その際、花子は被告及び竹夫に対し、「私たちもこれ以上待っていられないんです。主人も八〇歳だし、いつどうなるか分からない。私たちの葬儀・埋葬を二人でやってください。」などと述べ、また、太郎は被告及び竹夫に対し、額面一〇〇〇万円の小切手を交付した。

さらに、平成七年二月三日、被告名義の右銀行口座に、太郎名義で一五〇〇万円の振り込みがあった。

6  平成七年二月七日、花子から被告に対し、「今度やっとお金をお支佛できました、主人が万一の時はよろしくお願いたします 今度は私の分の事ですが 私の事も、よろしくお願いたします、主人の分とちがって1千万円しかお支佛できないのです、お金が少しで2千万円しかお支佛できないのです、申し訳けございません、お願いですが、主人と私の遺骨を一緒にしてお骨をお墓にマイ墓して戴けないでしょうか、御主人様に想談して下さい、西多摩霊園という所で場所は少し遠いのです、霊苑から地図をとりよせたのでよくごらんになって下さい、春子が墓地をぶんとるつもりなので私達が作った墓地なので早く墓地にまい葬したいと思います、5月ころ一千万円お送りしたいと思います」などとの文面の手紙を出した。

被告は、同月八日花子に電話し、花子からの右申入れを受けることを伝え、花子から尋ねられて、被告名義の郵便貯金の口座番号や送金手続について教えるなどした。そして、被告名義の右郵便貯金口座に、花子名義で、同年四月三日に一〇〇〇万円、同年五月八日に五〇〇万円の振込みがあった。

7  また、太郎と花子の各葬儀・埋葬費に使うための金銭として、被告名義の前記郵便貯金口座に、花子名義で、平成七年五月二二日に二〇〇万円、同年六月一三日に二〇〇万円の振込みがあった。

8  前記のとおりの被告への送金や小切手の交付は、原告春子が別居した平成六年四月以降、自分の葬式は誰もやってくれないのではないかなどというような発言を繰り返すようになり、太郎が、原告春子とも会って相談しているので、そのようなことは心配しなくてもよいとなだめても納得しなくなった花子が、太郎に対し、葬式のことは姪の被告に頼むので、何とかお金を送ってくれと執拗に頼むことから、太郎がやむなく行ったものであった。

太郎は、花子が以前に自殺を図ったこともあったことから、花子の右願いを聞き入れないと、花子が自殺でもしかねないと考え、やむなく送金を開始したものであった。太郎は、最初のころは、言われたとおりに送ったといって花子をなだめていたが、そのうち、花子は、送金の控えを見せなければ納得しなくなり、太郎が送金するまで、半狂乱のようになって送金を依頼し続け、また、太郎が被告に送金すると一時は落ち着くが、また何日かすると、葬式を被告がちゃんと出してくれるか心配だからお金を送ってくれと言い出し、太郎がこれを断ると、執拗に送金するように依頼し続けるという状況で、太郎は、当初は、葬儀費用程度で花子が納得するのならばやむを得ないと考えていたが、花子からの依頼に応じ続けるうちに、結局は、税金対策で原告らや孫名義で行っていた預金までをも含めて、太郎の退職金等を原資とするものを含む、自宅を除いたほぼ全財産ともいうべき財産を交付したことになり、老後のための夫婦の貯えがはとんどなくなってしまった。

9  花子の依頼により、太郎が被告に対し、前記のとおり合計四九〇〇万円を交付し終えた平成七年九月ころ以降、花子は、太郎も花子も健在(ただし、花子が精神分裂病であったかは別として)であったにもかかわらず、被告は大金を自分のものとしたにもかかわらず、花子との約束を守らず、葬儀や埋葬をせず、そのまま知らないふりをしているなどと意味不明なことを言い出し、その旨の手紙を被告に送ったり、「近所ノ人カライロイロイワレルノガツライデス、コドク死トイワレルノガツライデス」、「乙山竹夫と松子は葬儀埋葬はやる気に中心人物になって私は私の中心人物で葬儀埋葬を松子がやる気でいました、その中やるのをきらって中心人物をやるのをきらって代々木で代々うそをついて葬式をやめてしまいました、どうぞ私の中心人物になって葬儀埋葬は終りまでやっていただきたいと思います」「お金は松子が佛うのが当然です、中心人物のお金を佛うのは松子です、主人と私の葬儀埋葬をやるからご安心下さいと書いてありましたがうそにきまっています、男の葬式埋葬は男の当然のことうそつき、女の葬式埋葬は女のうそつき皆口から出まかせです」、「主人に四千万円上げました、養子がいますが所在不明です、私達の葬式はしないと申して春子に自分の土地の領分をやって自分の土地は領分をなくして春子にやってしまいました、それで葬式をやって貰う人がいなくなりメイの松子が気持よく承だくしたので四千万円をやりました、今から考へるとお金がほしく承知したのです、時々心配で電話をかけましたがインチキではないのかと聞くとインチキではないとその中お金を自分のものにして自分の領分にすることになりました、お金を返へして貰う用に何回も電話をかけましたが、しらんふりでした。」「私の分は私の子供がなく子供一人で死ぬとひどいことされる、コドク死をされる、隣近所からひどいことを言われるので松子にたのんだのです、だんだんお金の様子が変なのでインチキだろうと言ひましたがとうとうインチキとわかりました。それでお金を返す様に言うと返事をしなくなった。一千八百万円を二回やったのでした、着物を上げたので返す様荷回も言ったが返事はなかった、口だけはたっしゃでした、私一人で近所からいろいろ言われなかった」などとの文面の書面を作成するなどした。

また、花子は、練馬区の福祉関係の部署に対し、「主人はなく子供もなく一人で住んでいます」「乙山松子が私がやると申しますので(私のオトムライの事です)四千五百万円をやってたのみました、所が口ばかりたっしゃで何もしないで困っていましたら、登中でいやになり金はとったままで何もしませんでした」「松子と別れました」「係の方にお願ひします、コドク死にならない様お願ひします お金はあるのでそれでオトムライをお願ひします」「どうぞコドク死をしないで死ねる様にお願い致します」「私の養女が甲野春子と言って練馬区《番地略》に住んでいますので私をオトムライにしていただきたいと思います」「私の住んでいる家の費用は(貯金のことです、)私の費用ですから私の費用として私のオトムライの費用に使って下さい。私のオトムライに使はない時はそのまま使はないで下さい。」「(被告に)まい葬をたのみましたが 何一つ仕事はしないで、主人の場合は四千万円をただ取ってしらんふりをしています、合計七千万円ただ取りしてしらんふりをしています。主人のまい葬を話し合った時は四千万円をただ取りです、主人の時は私が身内の仕事は私がするのでよいのですが 私の場合は身内がいないので困ってしまいました。」「どうぞ どなたがまい葬してくれるのでしょうがお金はさし上げますから、よろしくお願い致します、葬式告別式はしないのでかんたんですがお金はお支佛しますから どうすればよいのでしょう。」「私の身内に甲野春子という養女が裁判で自分の物にして、知らんふりをしています」「私のまい葬して下さる方にお金を差し上げたいのですがどうすればよいのでしょう。」などとの文面の手紙を送り、また、太郎とともに、練馬区の身の上相談や法律相談に出かけ、金銭の受渡しが終わってみると、被告が葬式一切の面倒を看てくれるか信用できないから、何とか金銭を取り戻したいなどと相談するようになった。

そして、同年九月には、原告春子に対して、太郎及び花子の葬儀・埋葬について依頼する旨の手紙を出した。

その一方で、平成七年一一月一四日付けで、花子は被告に対し、引き続き太郎及び花子の葬儀・埋葬等を被告に依頼する旨の手紙も出していた。

10  平成七年一二月二四日花子が死亡し、同月二六日の葬儀において、被告及び竹夫は、太郎に対し、花子から預かっていた太郎及び花子の葬儀費用合計四〇〇万円(前記7で受け取った金銭)からとして、二〇〇万円を交付した。

同月二九日、太郎及び原告春子と被告及び竹夫との間で、花子から被告に送られた金銭の処理についての話合いがもたれ、太郎は被告らに対し、事情は知ってのとおり、送金は花子の病気のせいであり、送った金銭は老後の生活資金でもあるので返してほしいと言ったが、被告らは、右金銭は太郎も承知の上で贈与されたものであるなどとも言い、その返金については曖昧な返事のままで応じようとしなかった。

その後の法要、納骨式、彼岸の墓参りなどにおいて、太郎及び原告らと被告及び竹夫が会することがあったが、被告から太郎に対して返金についての具体的話はなく、ただ、太郎が被告らに求めた風呂の修理代として、被告から太郎に対して、平成八年一〇月七日ころに、太郎名義で作成した一〇〇万円の入った通常貯金通帳の送付があり、また、同年一一月二七日に五〇万円を郵便振替の方法による太郎名義の貯金通帳への送金があった。

11  太郎は、平成八年一月一二日、原告春子とともに練馬区の法律相談に出掛け、「妻が平成六年五月から平成七年にかけて姪に合計四二〇〇万円を送金した。ただし、送金は妻が病気だったので、夫が担当した。当初は葬儀等の面倒を看てもらうために送ると言っていたが、後は、訳も分からないまま送っていた。(妻の)死亡後、返還を求めたところ、簡単には応じない。どうするか。」との内容の相談をし、また、平成九年一月一〇日、原告代理人からの事情聴取において、原告代理人に対し、被告からの返金交渉と場合によっては法的手続による解決を依頼した。

被告は、花子から送金された前記金銭について、当初は税申告をしていなかったが、平成九年三月二八日に原告らから本件訴えが提起されたこと(記録上明らかな事実)をきっかけとして(原告らの当初の請求は、主位的請求である預託金返還請求のみであった。)、平成九年四月二五日になって、花子から送金を受けた金銭のうち、平成六年一〇月一九日の一五〇〇万円、平成七年二月ないし同年五月の合計三〇〇〇万円につき、贈与税の申告を行い、無申告加算税及び延滞税を加えた税額を納付したが、平成七年五月二二日と同年六月一三日に送金された各二〇〇万円については、太郎及び花子の葬儀費用として渡されたものとして、贈与税の申告はしていない。

二  争点1(金銭預託の有無)

前記一の事実によれば、花子から、使者の太郎を介するなどして、被告に交付された金銭のうち、平成七年五月二二日と同年六月一三日に送金された各二〇〇万円合計四〇〇万円については、花子から被告に対し、太郎及び花子の葬儀費用等に充てるために交付された預託金であると認められるが、その余の花子から被告に交付された合計額四五〇〇万円については、被告夫婦に太郎及び花子の葬儀や埋葬等について世話を依頼する謝礼の趣旨として、花子から被告に対して贈与されたものと認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

そして、前記一の事実によれば、被告は、平成七年一二月二六日の花子の葬儀当日、右四〇〇万円のうち二〇〇万円を太郎に交付返還していることが認められるから、結局、原告の主位的請求である預託金返還請求としては、預託金額四〇〇万円から返還分二〇〇万円を控除した二〇〇万円について理由があることになり、原告の主位的請求は、二〇〇万円及びこれに対する太郎及び原告らがその返還を求めた後で本件訴状送達の翌日であることが記録上明らかな平成九年四月三日から支払済みまで民法所定年五分の割合による利息の支払を求める限度で理由があることになる。

三  争点2(贈与の効力)について

1  前記一の事実によれば、花子は昭和四四年秋ころ精神分裂病を発病して以来、四回にわたる入院をし、その後も、死亡するに至るまで、精神神経科に通院していたこと、平成六年以降は自らの葬儀埋葬を誰も行ってくれないのではないか(花子がいう「孤独死」)とのおそれを抱き、そのような事実がないにもかかわらず、養子となった原告春子とは家庭裁判所で係争中であるとか、原告春子に財産を奪われるなどと被害妄想と考えられる言動をしていたこと、被告に対し、合計四九〇〇万円という、花子及び太郎夫婦の老後に備えた貯えのほとんどを渡し終えた後の平成七年九月ころ以降になると、今度は、被告が花子との約束を守らず、金銭を取ったままで何もしないと言い出し、また、練馬区の福祉関係の部署宛の手紙において、太郎が健在にもかかわらず、自分は身寄りがないと言い、自分の埋葬をしてくれる人に金銭を支払うということを記載するなどしており、花子には平成六年以降一貫して、このままでは、自分の葬式埋葬を誰もやってくれないのではないかという妄想(「妄想」とは、判断の病的な錯誤で、しかもその思い違いであることについて説得に努めても、本人は固く信じて反省せず、訂正不可能とされる症状)状態にあり、そのため、預貯金が尽きるまで被告に送金し続けたものであると考えられる。

そして、加えて、花子において、そもそも葬儀埋葬につき世話になるということで、葬儀費として交付した四〇〇万円を別としても、それまでそれほどの交際があったとはいえない被告に対し、突然、自宅を除いたほぼ全財産とも言うべき総額四五〇〇万円をも交付するということ自体が著しく常軌を逸していると考えられること、昭和五三年一〇月二八日以降、帝京大学病院精神神経科の担当医として花子を診察してきた証人松下昌雄は、昭和五三年一〇月二八日の初診時に、花子は既に軽度の欠陥状態にあり、後年骨折を負って有杖で通院していたころは中程度の欠陥状態にあり、その他、同大学病院通院中の花子には、接触・疎通性障害、自閉、感情鈍麻、病識欠如、二重帳簿(二重見当識)、両価性、連合弛緩、幻覚妄想などが見られたと診断していることが認められる。

2  以上によれば、平成六年八月から平成七年五月にかけて、花子は妄想型の精神分裂病に罹患しており、右期間中に、花子が被告に対して合計四五〇〇万円を贈与した各意思表示は、意思能力がない状態でされた無効のものであったというべきである。

もっとも、被告は、本件の贈与の履行の後である平成六年八月ころまでに花子の書いた手紙と、同年九月以降に同人が書いた手紙とは、その内容からして判然と分かり、その文体も異なるから、その時期の前後において、花子の精神状態は分けて考えるべきである旨の主張をしているところ、確かに、前記一認定のとおり、平成七年九月以降に花子が記載した書面の文面にはより強い妄想が示されているものと認め得るが、前記認定のとおり、それ以前においても、花子において、孤独死になってしまうという一貫した妄想が認められ、その妄想により本件の贈与の意思表示がされたものと認められるもので、被告の右主張は採用することができない。

3  したがって、原告らの予備的請求のうち、贈与の対象となった四五〇〇万円から、被告が太郎に交付した一五〇万円を控除した四三五〇万円につき、贈与契約の無効により、被告には返還義務があり、原告の予備的請求は、四三五〇万円及びこれに対する太郎及び原告らがその返還を求めた後で本件訴状送達の翌日であることが記録上明らかな平成九年四月三日から支払済みまで民法所定年五分の割合による利息の支払を求める限度で理由があることになる。

(裁判官 本多知成)

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